| > その通り。まともに相手にするつもりが無いのでそう思うと言ったわけ。
略
> 勿論貴方が思うよに反発するのは当然で、思うってなんだよって反論は当然 > 罠として用意した訳ね。
ツッコミを待つような論点でもないような気がするが、あえて言うなら「書いて価値を減じている」に尽きる。 通常何かを説明し理解を得るのには使われないし、結果的に理解を得られないことを前提として話す場合も使わない。
つまりは本来不必要な部分を他人に多く曝しているに過ぎない。 これだけ論理立てて文章を書けるのなら、書かなくても済んだはずでは? 書いたのは貴方で、突っ込まれる事を期待したのも貴方。 貴方にとって本当の利益になった一言なら、せめて「良かったね」とだけ言わせてもらうに留める。
> また意味不明なものを…。 > 当たり前ってナンデスカ?。
中略
> 問題は品質が良い悪いを判断するのは観測したデータに基づくと言う事。 > こうした数量観測だけでは、個々の原因分析が詳しくできないから、 > アンケートなり色々な手法を使うわけ。あるいは営業が回って、フォローを > していくわけ。
それは経営陣の考え方であり、消費者側のそれとは違う。 データがあろうが無かろうが、誰かが「そう思う」や「そう感じる」や「そう結論した」事をひっくり返せるわけではない。その結果がデータとして抽出されるだけだ。
また、私個人の考えとは関係なく、多種多様な方法で、しかも様々な場所で良くない評判に溢れているが、それらはデータに値しないと論ずるのも無茶な話だ。 アンケートの結果や営業マンの足の成果については、当然これらは正法だし意味あるデータを汲み出すだろうが、それらが行われていないからと言って、この状況から価値の高低を類推できないようでは状況判断が甘いとしか言えない。
「データがありませんでしたから」の一言で営業不振を許されるほど世界は甘くないだろう?何らかの手段でデータが無くともそれに代わるものを見つけ、新たなデータとする必要がある。
基準が無いから判断できない、だけでは必要に十分でない。 せめて、基準が無いから基準にたり得るデータを用意して、価値が低いと言う発言に対抗するなら理解できなくもないが、判断しないだけでは無意味に過ぎる。
単純に言えば貴方は「判断基準がないから価値なんて決められない」だけであり、私を含めた他者(少なくとも他の一名)は「価値が低い」と決定付けている。 これは得られた情報の咀嚼が出来ているかどうかの差であり、元々の基準云々よりも判断力の差があるだけである。
それとも誰かが「価値が低い」と思った「事実」までデータが無いから有り得ないと断じるつもりかね? それらはデータではなくデータの根拠になるものであり、未だデータを待っている貴方は「正しいが現実的ではない」事になる。
出揃った物を見て判断するのは経営の王道だが、出揃う前に兆しを見て判断するのは「経営者の王道」だ。データ偏重主義を振りかざして活躍できるのは会議の場だけで、営業では他者に遅れるだけだ。
> 高いか低いかを決めるのは消費者。これは正しい。 > しかし、貴方の意見が市場の意見を正しく反映していると言う根拠は無い。
略
> 何故なら、観測しないものに対して(データが存在しないものに対して) > 何もいえないからです。
市場の価値は個々の意見では代わらない。それは十分に有り得るし現実だろう。 では市場全体の意見は何で判断するのか?極論すれば売り上げであり利益だろう。 利益は「必要とする人」がいるから得られる物であり、必要とされなくなれば当然のように減りゆくものだ。 それは貴方の言うとおり観測によってしか得られないとして、貴方が観測できているかどうかとは関係がない。判断できないとする貴方が観測できていないだけで、その他の人々がそうだとまでは言い切れない。
仮定の話をしても決が出ないので結論を言うが・・・
接続人数が減り、様々なblogが悪評に溢れ、BOTが徘徊し、ある種の治安は悪化し、管理会社は結果を出す事が出来ず、後に出た商品も不振を極める。 (敢えて株価には言及しない) この状態で判断できないならば、観測という言葉の意味を取り違えているとしか言いようがない。
勿論経営陣はそれらを関知しないし、例えどのようなデータや推測が得られていても、経営方針や目的(利益とは限らない)に相反しない限り方針転換もされないだろう。価値の有る無しはデータで判断され、それは正しい選択だと言える。
しかし消費者は違う。他者の総評である詳細なデータが無くとも価値は自分で見いだす事が出来る。 これらはデータになる前の個々の声だが、これ無くしてデータも有り得ない。
一言で言うなら「貴方は経営側の視点」で論じ、私は「消費者側の視点」で論じている。消費者側は経営者側の価値など気にする事はなく、自らの視点で物事を決定する。データ云々と言い始めた時点で返信をした相手にとって無意味(もう少し好意的に「別の」でも良いが)な視点から論破を試みた事になり、「価値」の定義も大ハズレのまま突き進んでいるに過ぎない。
繰り返し言うが、価値が有るか無いかはデータが出なければ判断できないような物ではない。たった今の瞬間にも個々で判断し下されている事だ。
> 勘違いなさっていますね。僕は企業が経営戦略を決める段階で、データ無し > の個人の意見などで企業が動かないと言っています。
略
> ・・・株主に対する責任はどうしますか?。 > って事になるのが分かるので、価値がありそうだ、なさそうだという現場の > 判断だけで動けるんでしょうかね?
現場の判断で動くに決まっている。新しい分野はそうして作られるし、分野でなく得意先もそうして見つける物だ。 トップダウンで行う営業はケースとして希ではないが、現場の傾向から決まる物も多い。君は株主の顔色を見ながら新規の分野を開拓していくのかね? また「投資を決定」の言葉でも分かるが、これは経営側としての判断の流れであり、個々の消費者の価値判断とは無縁だ。
経営者として判断する基準がないから価値としては判断できないと言うだけなら、一意見としても記憶するに値するが、「話にならない」と書いた時点で消費者側の「価値」の判断を覆すために持ってきたとしか見えない。
相手は自分の立場にとって価値が無いと言っているのに、何故経営者側の立場から「話にならない」と断ずる必要があったのかね? せめて消費者側の側の立場から「話にならない」とするならば意味のある反論だったろうに。しかも結論が「判断できない」ではお粗末すぎる。
> 少なくなってきているなら、データとして示さないといけないのでは?
略
> ・・・他人には別の考えが > あるかも知れないよ?。じゃあ、どうやって「客観的」に示すのさ?。
どこにも客観性が必要な状況が展開されていないが、なにか客観性が存在しないと価値の判断に困るのかね? 私個人としては客観性が有ろうが無かろうが自分の意志で価値を決める訳だが、他者の意見を見たり聞いたりするに現実の認識に大きな相違があるとも思えないし、価値が高いとする材料も見いだせないから低いと論ずるに衒い無いんだが、何か決定的に価値が低い事に対する反証があるのかね?そしてそれが個々の判断に影響するとでも?
私には貴方の言いたい事は分かるが、ここで価値が判断できないと言い始めた理由が理解できない。 繰り返すが「経営者の立場からは判断できない」とするだけなら分かる。だが「話にならない」と断じた貴方自身の判断基準が理解できない。 相手は個人的な立場から意見を言っているのに、何故当人の判断に影響しない「客観性」を以て否定するのかが分からない。
> 顧客満足度って何?。そもそも満足って何?。どうやって満足度を計量
略
> ・・・但し、そのデータに対して満足度などと言う意味不明な > 述語は使いませんが。
統計を出せる実力があるなら、(優先目標でなくとも)可能な限り求めるものが「顧客満足度」のはずだが、言葉がないから存在しないわけではないだろう? 言葉を分解すれば「顧客が満足していると感じている度合い、又は満足していると感じている顧客そのものの度合い」だ。それは私や貴方や他者が感じている物だが、満足度が十分に高ければ、不満は少なくゲーム内は人で溢れ、ROを勧める人は増え、声高にROを素晴らしいと称えるblogの一つも存在するはずだ。
それらが存在せず、逆の情況証拠ばかり散見されるを以て、満足度が低いと論ずるに異論のあるユーザーは少ないと考えるがどうか? (繰り返すが、個々に楽しまれている方々を存在しないとする意味ではない)
> ちなみに私は社会人ですが…。現場も知ってるし、確度の高いデータをどう > 集めるかにいつも苦慮してますよ。アカウンティング、マーケティング、 > 企業戦略、色々なテーマがありますが、データに偏りすぎれば現実と乖離し、 > 現場に偏りすぎればローカライズしすぎて全体の傾向が見えない。
私も接客業を生業し、それに従事する者の生活を支える立場だ。 だが、おそらく社会人と言う括りは無意味だろう。社会人である事と社会を知らない事は違うという意味で書いている。 その点からは「社会を知らない若輩者」と言う言葉は相応しくなかった。この点については訂正し謝罪する。 また、この部分の発言には賛成する。
> 楽しさもどうやって計量するの?。例えば任天堂のWiiだって、人間工学に
略
> その満足度UPと言う数値化できていない事で下手をすると数百億の金が > 動くんやぞ?。それでコケたらどうするよ?
楽しさを計量する・・・と言う言葉に多少の違和感を覚えないでもないが、まさか貴方自身が楽しいかどうかを判断できない訳ではあるまい?
そして企業が投資する物を気にする事はないだろう?巨額の開発資金をかけようが、片手間で作られようが、価値を見いだすのは貴方や私だ。企業ではない。
何故「投資する根拠」等という話を、個人が「価値がない」「いやある」の世界に持ち込む必要があるのだ? 商品化するもしないも、数百億かかろうと、例えそれが転けたところで個人的な価値の有る無しに何か影響があるのか?
貴方の考え方の根底にある物には何も問題はないが、話し相手の立場や論点が大きく食い違っている。
どこの誰かは知らないが、相手は個人的判断から以下のように価値を論じている。 (引き合いに出して申し訳ない)
>文句を言われる原因は高いとか金がもったいないだけではない >それに見合ったサービスが提供されていないから > >高価でも品質が良くきちんとした品物は売れるし、 >いくら安くても不良品は文句を言われる >ROは金がかかる上に管理のお粗末な不良品 >これでは文句を言われて当然だろう
必要ないだろうが纏めよう。
・投じた金額に見合ったサービスが提供されていないと感じている。 ・価格と価値は比例しないが、良い物は良いと受け入れられると考えている。 ・ROは無料ゲームより当然お金がかかるが、無料のゲームと比べて管理が良いとは言えず、十分な楽しさを提供できていないと判断する。 ・消費者として企業の姿勢に問題があると感じる。
これになぜ「話にならない」のかもう一度熟考された上で書き込みされる事を期待する。 当然強制はしない。 おそらく立場の違いか論点のすれ違いで水平線と臨む可能性もあるが、それはそれで、また良し、である。
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